関西学院大学 体育会拳法部 公式web

関學拳法部紹介

  1. 関学拳法部について
  2. ・道場
    ・入部申し込み
  3. 部歌
  4. 部史
  5. 年表

関西學院大学拳法紹介 ~部史2~

目次

  • 創立当時
  • 終戦後

  • 終戦後

    ・昭和22年4月13日、復員した澤山勝会長、矢野文雄副会長、以下大日本拳法会幹部30余名が集合して、「日本拳法会」と改称して新発足することを決議した。(昭和22年4月14日 大阪時事新報)関西学院大学の拳法部も活動を再開した。

    ・昭和23年
    5月29日、大阪キタノガーデンに於いて、日本拳法会の主催にて、関西大学・関西学院大学対抗戦(定期戦)の復活第一回が挙行され、各15名の勝ち抜き方式にて、4名を残して関西大学が勝った。(昭和23年5月31日 大阪日日新聞)

     

    ・昭和24年
    6月4日、新橋野外劇場(大阪)に於いて、日本拳法会主催、大阪日日新聞社後援にて第四回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、野上主将以下の関西学院大学が富永正夫主将以下の関西大学に対して大将戦にて勝ち対戦成績を2勝2敗とした。(総和24年6月5日 大阪日日新聞)

    11月27日、新橋野外劇場(大阪)に於いて日本拳法会主催、大阪日日新聞後援にて第五回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、辻見重行初段の8人抜き(即日二段昇段)もあり、2名を残して関西大学が勝って対戦成績を関西大学3勝、関西学院大学2勝とした。(昭和24年11月29日 大阪日日新聞)

    ・昭和25年
    11月5日、大阪キタノガーデンに於いて日本拳法会主催、大阪日日新聞後援にて第七回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、主将鷲尾和秀三段、平田次郎二段、大竹龍男二段、川口二段等の関西学院大学軍に対して、主将菊池圭一三段、森正十之三段、那須英友二段、小路二段、辻見重行二段等の関西大学が今村二段の五人抜きもあり、3名を残して勝ち、対戦成績を関西大学4勝、関西学院大学2勝とした。
    (昭和25年11月6日 大阪日日新聞)

    ・昭和26年
    4月1日、徳島市内町小学校に於いて、関西学院大学から、峰山三段、大竹二段、青木二段、川口二段が大阪学生選抜軍に参加し、日本拳法会徳島支部と各15名による勝抜きの対抗戦を挙行し、大将戦の結果、大阪学生選抜軍が敗れた。(昭和26年4月2日 徳島新聞)

    6月9日、西宮体育館に於いて、日本拳法会主催にて第八回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて関西大学金井清重主将以下三段4名、二段10名、初段6名、合計38段、関西学院大学鷲尾和秀主将以下三段6名、二段  名、初段  名
    合計 段の陣容で対戦した。(昭和26年6月9日 デイリースポーツ)

    8月26日、関西学院大学拳法部、鷲尾三段以下50余名は国家警察、高知県柔道協会の後援を得て、追手門高校に於いて、日本拳法の形及び防具稽古の公開演技を行った。
    (昭和26年8月28日 高知日報)

    11月20日、西宮体育に於いて第九回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行された。関学二峰の近藤二段が善闘を続け六名を屠り、勢いに乗った関学は、中堅部の許弟二段が、 五名を倒したが、関大の超人辻見三段が十二名の勝ち抜きを行い、一挙に挽回して、凱歌は関大軍に挙がった。尚、辻見三段は即日四段を允許された。

    11月27日、第一回日本拳法段別選手権大会、西宮体育館
    初段の部 関西学院大学 曽我雅行が優勝
    二段の部 関西学院大学 近藤 弘が優勝

    ・昭和27年
    6月22日、西宮体育館に於いて日本拳法会主催、大阪日日新聞後援にて第十回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、関西大学、辻見重行四段、
    小西奐三段以下、合計51段、関西学院大学、大竹龍男、許、北野国男、各三段以下、合計49段が対戦して、北野三段の6人抜き、許三段、吉川典男二段の各3人抜き等により、関西学院大学が勝ち、対戦成績を関西大学6勝、関西学院大学4勝とした。
    (昭和27年6月22日 大阪日日新聞、スポーツニッポン)

    11月19日、西宮体育館に於いて日本拳法会主催、にて第十一回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各25名の勝ち抜き方式にて、関西大学、小西奐、辻見重行、那須英友の
    四段3名、三段7名、二段9名、初段6名の計57段に、関西学院大学、青木隆四段、三段10名、二段7名、初段7名の合計55段が対戦して、大将戦の結果、関西学院大学が勝ち、対戦成績を関西大学6勝、関西学院大学5勝とした。
    (昭和27年11月18日 産業経済新聞、昭和27年11月19日 毎日新聞、朝日新聞)

    ・昭和31年
    5月19日、大阪府立体育会館にて、全日本学生連盟主催、産経新聞、大阪新聞、サンケイスポーツ後援により、第一回全日本学生拳法選手権大会が開催され、全国規模で学生拳法選手権が争われる時代になった。

    第一回全日本学生拳法大会パンフレット

     

    部史前に戻る | 部史次ページ

    拳法部紹介に戻る