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関学拳法部について

関学拳法部について

「日本拳法」は防具をつけることにより、「突き」、「蹴り」などの技を実戦で磨くことを可能にした武道です。

初心者でも安全に練習が出来、先輩の指導を受け、練習に励んで、卒業時に参段、四段を取得している選手もいます。
関西学院大学体育会拳法部は創部80年の伝統を誇り、数々の輝かしい戦績を挙げています。

強くなりたい、自分の身を護りたい、武道を始めたい、身体を鍛えたい人は大歓迎です。 武道を身に付けることで、精神的な自信を身に付けることも出来ます。

練習時間
月・水・木 19:00~21:00防具練習
11:00~13:00防具練習
練習場所
新学生会館2階 拳法部道場(上ヶ原キャンパス内)
Robbin Hood’s横の階段を1階分上がって左折し、ボクシング部を通りすぎたところにあります

道場(新学生会館2階)

新入生の皆さん待ってます。

道場

入部申し込み

特に入部に関する規定はありません。まずは練習時間内に道場へお越しください。
練習時間:水,金:11:00~12:40 火,木:18:30~20:30 土曜 13:00~15:30

関西学院大學拳法部・部歌

関西学院大學拳法部・部歌

燃ゆる心は空拳の
血潮に染し 闘魂ぞ

永久の命に結ばれて
道あり我が丘 上ヶ原

鍛う我らが拳法部
溢るる青春 熱と意気

上弦かかげる星空を
仰ぐまなこに光る露

いざ戦わん忍従の
力を尽くして 悔いぞなき

鍛う我らが拳法部
溢るる青春 熱と意気

関西学院大学拳法紹介 ~部史~

  • 創立当時
  • 終戦後

昭和10年 1935年

関西学院大学 拳法部 創設
澤山勝は昭和7年に母校関西大学に拳法部を創設して後輩の矢野文雄、山田錬一等に大日本拳法を指導したが、昭和10年に、澤山勝は関西学院大学に於いても当谷哲治等に拳法部を創設させて、その指導に努めた。
(昭和10年6月19日大阪毎日新聞記事参照)

昭和10年6月19日大阪毎日新聞記事拡大してみる

昭和13年 1938年

6月19日、午後一時より洪火会本部武道道場に於いて大日本拳法の演武大会を開催す。
段外乙の部で、関西学院大学川合由太郎が優勝。

昭和14年 1939年

11月3日、午前十時より洪火会主催、第一回大日本拳法演武試合を挙行す。
段外乙の部で、関西学院大学 吉村弘仁が次勝。
段外甲の部で、関西学院大学 山下和政が優勝
初段の部で、関西学院大学 川合由太郎が優勝
二段の部で、関西学院大学、山中(旧姓北村)善之助が次勝。

11月20日、毎日新聞社大講堂に於いて、関西大学、関西学院大学、両拳法部が主催する第一回大日本拳法関西大学・関西学院大学対抗戦が挙行され、各20人に依る勝抜戦の結果、関西学院大学が大将一人を残して勝った。

昭和15年 1940年

11月3日、午後零時三十分より、洪火会本部会館に於いて、洪火会主催の第二回大日本拳法演武大会を開催す。
段外乙の部で、関西学院大学 吉田富美男が優勝。
二段の部で、関西学院大学、富田昇が優勝、平井弘之が次勝。

昭和16年 1941年

11月3日、午後零時三十分より、洪火会本部会館に於いて、洪火会主催の第三回大日本拳法演武大会を開催す。
段外乙の部で、関西学院大学 保田喜弘が優勝。
段外甲の部で、関西学院大学 松尾恭平が次勝。
二段の部で、関西学院大学、山本敬太郎が優勝。

昭和17年 1942年

6月28日、毎日新聞社大講堂に於いて、毎日新聞社の後援で第四回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行される。(昭和17年6月27日大阪毎日新聞)

以上で戦前の記録は見当たらない。折から国家総動員令のもと、澤山勝氏も応召し、大日本拳法会の組織的活動は停止された。

昭和22年4月13日

復員した澤山勝会長、矢野文雄副会長、以下大日本拳法会幹部30余名が集合して、「日本拳法会」と改称して新発足することを決議した。(昭和22年4月14日 大阪時事新報)関西学院大学の拳法部も活動を再開した。

昭和23年5月29日

大阪キタノガーデンに於いて、日本拳法会の主催にて、関西大学・関西学院大学対抗戦(定期戦)の復活第一回が挙行され、各15名の勝ち抜き方式にて、4名を残して関西大学が勝った。
(昭和23年5月31日 大阪日日新聞)

昭和23年5月29日拡大してみる

昭和24年6月4日

新橋野外劇場(大阪)に於いて、日本拳法会主催、大阪日日新聞社後援にて第四回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、野上主将以下の関西学院大学が富永正夫主将以下の関西大学に対して大将戦にて勝ち対戦成績を2勝2敗とした。
(総和24年6月5日 大阪日日新聞)

昭和24年11月27日

新橋野外劇場(大阪)に於いて日本拳法会主催、大阪日日新聞後援にて第五回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、辻見重行初段の8人抜き(即日二段昇段)もあり、2名を残して関西大学が勝って対戦成績を関西大学3勝、関西学院大学2勝とした。
(昭和24年11月29日 大阪日日新聞)

昭和24年11月27日拡大してみる

昭和25年11月5日

大阪キタノガーデンに於いて日本拳法会主催、大阪日日新聞後援にて第七回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、主将鷲尾和秀三段、平田次郎二段、大竹龍男二段、川口二段等の関西学院大学軍に対して、主将菊池圭一三段、森正十之三段、那須英友二段、小路二段、辻見重行二段等の関西大学が今村二段の五人抜きもあり、3名を残して勝ち、対戦成績を関西大学4勝、関西学院大学2勝とした。
(昭和25年11月6日 大阪日日新聞)

昭和25年11月5日拡大してみる

昭和26年4月1日

徳島市内町小学校に於いて、関西学院大学から、峰山三段、大竹二段、青木二段、川口二段が大阪学生選抜軍に参加し、日本拳法会徳島支部と各15名による勝抜きの対抗戦を挙行し、大将戦の結果、大阪学生選抜軍が敗れた。
(昭和26年4月2日 徳島新聞)

昭和26年6月9日

西宮体育館に於いて、日本拳法会主催にて第八回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて関西大学金井清重主将以下三段4名、二段10名、初段6名、合計38段、関西学院大学鷲尾和秀主将以下三段6名、二段 名、初段 名
合計 段の陣容で対戦した。
(昭和26年6月9日 デイリースポーツ)

昭和26年8月26日

関西学院大学拳法部、鷲尾三段以下50余名は国家警察、高知県柔道協会の後援を得て、追手門高校に於いて、日本拳法の形及び防具稽古の公開演技を行った。
(昭和26年8月28日 高知日報)

昭和26年11月20日

西宮体育に於いて第九回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行された。関学二峰の近藤二段が善闘を続け六名を屠り、勢いに乗った関学は、中堅部の許弟二段が、 五名を倒したが、関大の超人辻見三段が十二名の勝ち抜きを行い、一挙に挽回して、凱歌は関大軍に挙がった。尚、辻見三段は即日四段を允許された。

昭和26年11月20日拡大してみる

昭和26年11月27日

第一回日本拳法段別選手権大会、西宮体育館
初段の部 関西学院大学 曽我雅行が優勝
二段の部 関西学院大学 近藤 弘が優勝

昭和27年6月22日

西宮体育館に於いて日本拳法会主催、大阪日日新聞後援にて第十回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各20名の勝ち抜き方式にて、関西大学、辻見重行四段、 小西奐三段以下、合計51段、関西学院大学、大竹龍男、許、北野国男、各三段以下、合計49段が対戦して、北野三段の6人抜き、許三段、吉川典男二段の各3人抜き等により、関西学院大学が勝ち、対戦成績を関西大学6勝、関西学院大学4勝とした。
(昭和27年6月22日 大阪日日新聞、スポーツニッポン)

昭和27年11月19日

西宮体育館に於いて日本拳法会主催、にて第十一回関西大学・関西学院大学定期戦が挙行され、各25名の勝ち抜き方式にて、関西大学、小西奐、辻見重行、那須英友の 四段3名、三段7名、二段9名、初段6名の計57段に、関西学院大学、青木隆四段、三段10名、二段7名、初段7名の合計55段が対戦して、大将戦の結果、関西学院大学が勝ち、対戦成績を関西大学6勝、関西学院大学5勝とした。
(昭和27年11月18日 産業経済新聞、昭和27年11月19日 毎日新聞、朝日新聞)

昭和27年11月19日拡大してみる

昭和31年5月19日

大阪府立体育会館にて、全日本学生連盟主催、産経新聞、大阪新聞、サンケイスポーツ後援により、第一回全日本学生拳法選手権大会が開催され、全国規模で学生拳法選手権が争われる時代になった。

第一回全日本学生拳法大会パンフレット
昭和31年5月19日拡大してみる

関西学院大学拳法部・年表

昭和

昭和10年

  • 関西学院拳法部創立

昭和14年

  • 第1回関々戦は、20対18で関学勝利

昭和17年

  • 第4回関々戦は、20対19で関大勝利

昭和22年

  • 復活第1回関々戦は、13対21で関大勝利(11/8 キタノガーデン)

昭和23年

  • 第2回関々戦は、15対11で関大勝利(5/29 キタノガーデン)
  • 第3回秋期関々戦は、14対13で関学勝利(11/7 キタノガーデン)

昭和24年

  • 戦後第4回関々戦は、20対19で関学勝利(6/4 新橋野外劇場)2勝2敗。
  • 第5回関々戦は、20対18で関大勝利、(11/27 新橋野外劇場) 2勝3敗。

昭和25年

  • 第6回関々戦は、18対17で関学勝利(6/17 キタノガーデン)3勝3敗
  • 第7回関々戦は、20対17で関大勝利(11/5 キタノガーデン)3勝4敗。

昭和26年

  • 第9回関々戦は、30対25で関大勝利(11/20 西宮体育館)

昭和27年

  • 第10回関々戦は、25対23で関学勝利(6/22 西宮体育館)
  • 第11回関々戦は25対24で関学勝利(11/19 西宮体育館)5勝6敗

昭和29年

  • 第1回全日本学生拳法王座決定戦は、6対5で関学が関大を破って勝利
  • (11/22 大阪府立ナンバ体育館)

昭和31年

  • 第1回全日本学生拳法選手権大会で準優勝
  • 第1回関西学生拳法選手権大会で準優勝

昭和32年

  • 第2回関西学生拳法選手権大会で優勝
  • 第2回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

昭和33年

  • 第3回関西学生拳法選手権大会で優勝
  • 第3回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

昭和34年

  • 第4回関西学生拳法選手権大会で準優勝

昭和35年

  • 第5回関西学生拳法選手権大会で優勝
  • 第5回全日本学生拳法選手権大会で優勝

昭和36年

  • 第6回関西学生拳法選手権大会で準優勝

昭和37年

  • 第7回関西学生拳法選手権大会で準優勝
  • 第7回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

昭和38年

  • 第8回関西学生拳法選手権大会で準優勝
  • 第8回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

昭和39年

  • 第9回関西学生拳法選手権大会で準優勝
  • 第9回全日本学生拳法選手権大会で優勝

昭和40年

  • 第10回関西学生拳法選手権大会で優勝
  • 池内杯受賞
  • 第10回全日本学生拳法選手権大会で優勝

昭和41年

  • 那須杯受賞
  • 第11回関西学生拳法選手権大会で準優勝

昭和42年

  • 第12回関西学生拳法選手権大会で準優勝

昭和43年

  • 第13回関西学生拳法選手権大会で準優勝
  • 第13回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

昭和44年

  • 第14回全日本学生拳法選手権大会で優勝

昭和45年

  • 第15回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

昭和46年

  • 第16回全日本学生拳法選手権大会で3位

昭和54年

  • 第24回関西学生拳法選手権大会で3位
  • 第24回全日本学生拳法選手権大会で優勝

昭和55年

  • 第25回関西学生拳法選手権大会で優勝

昭和55年

  • 那須杯受賞

昭和60年

  • 第30回全日本学生拳法選手権大会で3位

昭和61年

  • 第31回全日本学生拳法選手権大会で3位

昭和62年

  • 創部50周年記念祝賀会

平成

平成10年

  • 第2回西日本学生拳法選手権大会で3位
  • 創部60周年記念祝賀会

平成11年

  • 第12回全国大学選抜選手権大会で準優勝
  • 第44回全日本学生拳法選手権大会で準優勝

平成13年

  • 第5回西日本学生拳法選手権大会で3位
  • 第14回全国大学選抜選手権大会で準優勝

平成14年

  • 第6回西日本学生拳法選手権大会で3位
  • 第15回全国大学選抜選手権大会で3位

平成15年

  • 第7回西日本学生拳法選手権大会で準優勝
  • 第16回全国大学選抜選手権大会で優勝
  • 那須杯受賞

平成16年

  • 第8回西日本学生拳法選手権大会で3位
  • 第17回全国大学選抜選手権大会で3位

平成17年

  • 第28回総合関々戦拳法、3勝3敗1分、代表戦で関学が勝利

平成18年

  • 第19回全国大学選抜選手権大会で4位

平成19年

  • はしかによる学校閉鎖のため、第20回全国大学選抜選手権大会に
    参加できず。第30回総合関関戦も中止となる。

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